医療機器って、なんだかちょっと怖くないですか?
白い無機質な外観に、チカチカと光る画面、そして分かりづらい操作ボタンの数々。
実は「使いにくい医療機器」には、患者さんも医療従事者も日々苦労しているんです。
従来の医療機器は機能性や安全性を最優先にするあまり、使う人のことを置き去りにしてきました。
なぜなら「正確に測定できる」「効果的に治療できる」という目的さえ達成できれば、それでよしとされてきたから。
でも、最高の医療機器は、単に機能するだけでなく「使いたくなる」ものであるべきなのではないでしょうか?
それが私たち医療UXデザイナーの挑戦です。
医療機器のUXデザインを通じて、患者さんが自分の治療に主体的に参加できる世界を創りたい。
それは「治す」ための道具から「共に生きる」ための道具へと、医療機器の概念そのものを変えていく仕事です。
この記事では、私がカンデルというメドテック系スタートアップでウェアラブル機器のUXデザイナーとして働いた経験を踏まえ、医療機器と人間の間にある「見えない壁」をどう取り払うかについてお話ししたいと思います。
技術と身体の間に生まれるストーリーに耳を澄ませながら、医療の未来を一緒に考えてみませんか?
「使いたくない」から「使いたくなる」へ
医療機器にありがちな「使いにくさ」の正体
「あのボタンを押して、その後にこのスイッチを…あ、違う、その前にメニューから設定を…」
病院や医療現場で、こんな場面を見かけたことはありませんか?
医療機器の使いにくさには、いくつかの典型的なパターンがあります。
多くの医療機器は操作ミスを防ぐことに重点が置かれ、間違いのない操作ができることが最優先されてきました。
その結果、確認画面の多さやボタン操作の複雑さが生まれているのです。
また、医療機器は長い開発期間を経て生まれるため、テクノロジーの進化に追いつけていないケースも多々あります。
スマートフォンのような直感的な操作性に慣れた現代人にとって、旧式のボタンやダイヤル式の操作は混乱を招きがちです。
さらに、患者が自宅で使う医療機器においては、専門知識を持たない人でも使えることが重要なのに、説明書が難解だったり、デザインが無機質で威圧感を与えたりすることも。
こうした「使いにくさ」は、ただの不便さにとどまらず、医療機器の誤使用や使用放棄にもつながる深刻な問題なのです。
なぜUXが医療機器に必要なのか
医療機器にUXデザインが必要な理由は、単純明快です。
使われない医療機器は、いくら高性能でも意味がないからです。
UXデザインとは、利用者の体験価値を探り、その体験価値を向上させるためにプロダクトを設計・開発するプロセスです。
医療機器の場合、その「体験価値」を向上させることは、時に命に関わることさえあります。
例えば、自宅で使用する血糖値測定器のデザインが直感的で簡単なら、糖尿病患者さんの継続率は上がるでしょう。
定期的な測定が習慣化されれば、健康管理の質は飛躍的に向上します。
ウェアラブルデバイスの活用を通じた予防医学の推進や個別化医療の実現が期待されており、今後の医療の質の向上に関わる重要な鍵となっています。
良いUXデザインは医療のアクセシビリティを高め、医療格差の解消にも貢献するのです。
私がカンデルで取り組んだウェアラブル機器の開発では、まず「使いたくなる」体験をデザインすることから始めました。
患者さんがデバイスを身につけることに喜びや安心を感じられれば、治療効果も自ずと高まるという考え方です。
ユーザー=患者だけじゃない?関係者全体を視野に
医療機器のUXを考える際、意外と見落とされがちなのが「患者さん以外のユーザー」の存在です。
実は医療機器は、患者さんだけでなく、医療従事者、介護者、家族など、多くの人が関わるエコシステムの中で機能しています。
例えば、高齢者向けの服薬管理デバイスであれば、使うのは高齢者本人だけでなく、設定を手伝う家族や、データを確認する医師も「ユーザー」です。
それぞれの視点や使い方を想定したデザインが求められるのです。
また、医療機器は使われる「コンテキスト(文脈)」も多様です。
病院の明るい診察室で使われるものもあれば、夜間の暗い病室で緊急時に使われるものもあります。
自宅のリビングで日常的に使われるものもあれば、外出先で急に必要になるものもあります。
私たちがカンデルで開発したウェアラブル心拍計は、患者さんが装着する際の快適さはもちろん、医師がデータを確認する際の視認性、家族が異常を察知できるアラート機能など、関わる全ての人の体験を考慮してデザインしました。
UXデザインの本質は、こうした「ユーザーを取り巻く環境全体」を視野に入れること。
そして、それぞれの立場で最適な体験を設計することにあるのです。
現場の声を、デザインに活かす
「観察から始めなさい」——医療現場でのインタビュー術
「本当に必要なものを作るためには、現場を知らなければならない」
これは私の恩師が常に口にしていた言葉です。
医療機器のUXデザインにおいて、現場の観察とインタビューは不可欠なプロセスです。
私がカンデルで最初に取り組んだのは、病院を訪れ、医療従事者と患者さんの自然なやりとりを観察することでした。
単に「どんな機能が欲しいですか?」と質問するのではなく、実際の行動パターンから潜在的なニーズを探り出します。
例えば、看護師さんが患者さんのバイタルを測定する際、機器の画面とカルテを何度も見比べている様子から、データ転送の自動化というニーズが見えてきました。
また、インタビューでは「5つのなぜ」というテクニックが効果的です。
表面的な回答に対して「なぜですか?」と重ねて質問することで、本質的なニーズにたどり着けます。
「この機器の画面が見づらい」という意見に対して「なぜ見づらいと感じますか?」と掘り下げると、「緊急時に素早く情報を把握できないから」という根本的な課題が見えてきたりします。
医療現場でのインタビューで大切なのは、相手の立場や感情に寄り添うこと。
忙しい医療従事者の時間を尊重し、患者さんのプライバシーに配慮しながら、リラックスした雰囲気で本音を引き出す工夫が必要です。
ストーリーテリングで見えてくる、潜在ニーズ
数字やデータだけでは見えてこない「人間の物語」を引き出す—それがストーリーテリングの力です。
私たちはインタビューで集めた声をストーリーとして紡ぎ、デザインの核心に据えています。
例えば、ある糖尿病患者さんの日常の物語:
「毎朝、会社に行く前に血糖値を測定しようとするけれど、忙しくて忘れてしまうことが多い。
測定器を取り出して、針を準備して、血を採取して…という一連の作業が面倒で。
でも測定しないと、昼食で何をどれだけ食べていいか分からず、不安になる。」
この物語からは、「忙しい朝でも簡単に測定できる」「測定結果に基づいた食事アドバイスがほしい」という具体的なニーズが浮かび上がります。
カンデルでは、こうした「ユーザーストーリー」を中心に据えたデザインプロセスを採用していました。
開発チーム全員がユーザーの日常を具体的にイメージすることで、技術者も営業も、同じビジョンを共有できるのです。
また、ストーリーテリングは、開発後の効果測定にも役立ちます。
「この機器を使うことで、ユーザーの物語はどう変わったか?」という視点で評価することで、数値では測れない価値を可視化できるのです。
若年層・女性・セルフケア分野からの学び
私が特に関心を持っているのが、若年層患者、女性医療、そしてセルフケア分野です。
これらの領域から得られる学びは、医療機器UXの未来を示唆しています。
若年層の患者さんは、テクノロジーへの適応力が高い一方で、長期的な健康管理への意識が薄いことが多いです。
そこで重要になるのが「エンゲージメント」—継続的に使いたくなる仕掛けです。
ゲーミフィケーションやSNSとの連携など、日常生活に自然に溶け込む設計が効果的です。
女性医療の分野では、長年見過ごされてきた特有のニーズがあります。
例えば、月経周期管理や妊活支援のアプリは、単なる記録ツールから一歩進んで、ホルモンバランスと身体症状の関連を可視化し、女性自身が自分の身体をより深く理解するための教育ツールにもなっています。
セルフケア分野では、医療機関に頼らない健康管理の需要が高まっています。
日常的な健康管理から医療現場での活用まで、ウェアラブルデバイスは幅広い分野で影響を与える可能性を秘めています。
健康状態を「測る」だけでなく「改善するためのアクションにつなげる」デザインが求められているのです。
これらの分野から学べるのは、医療機器はもはや「病気を治す道具」ではなく「健康な生活をサポートするパートナー」へと進化しているということ。
この視点の転換が、次世代の医療機器UXの鍵を握っているのです。
成功例から学ぶUXデザインの可能性
海外メドテックの先進事例:WIRED的視点で読み解く
1. ユーザー中心設計の徹底
海外のメドテック企業で特に注目したいのは、「ユーザー中心設計(User-Centered Design)」の徹底ぶりです。
例えば、米国のDexcom社の連続血糖測定システムは、従来の指先穿刺による血糖測定に比べて格段に使いやすくなっています。
小型センサーを皮下に装着するだけで、スマートフォンにリアルタイムで血糖値が表示される仕組みです。
彼らの成功の秘訣は、糖尿病患者の日常生活のあらゆる場面—睡眠中、運動中、食事中、仕事中—でのユーザー体験を詳細に研究したこと。
単に「正確な測定」だけでなく「生活に溶け込む測定」を実現したのです。
2. テクノロジーの透明化
Apple Watchの心電図機能は、複雑な医療技術を「指一本で使える」シンプルさに変換した好例です。
高度な心電図測定という医療行為を、ユーザーが意識せずに日常的に行えるようにしました。
これは「テクノロジーの透明化」と呼ばれるアプローチで、高度な技術を背景に押しやり、ユーザー体験をシンプルに保つ設計思想です。
医療AIでは、ユーザーエクスペリエンス(UX)が重要な役割を果たします。UXデザイナーは、AIの判断過程を透明化し、医療従事者がAIの診断結果を適切に評価できるようにする必要があります。
3. コミュニティ形成の促進
Fitbitなどのウェアラブルデバイス企業は、単に「測定する」だけでなく「共有する」体験を重視しています。
運動記録をSNSでシェアしたり、友人と競争したりできる機能によって、継続的な使用を促進しているのです。
医療機器においても、同じ症状や治療を経験している患者同士がつながれるコミュニティ機能は、精神的サポートと治療継続の両面で効果を発揮します。
これらの事例から学べるのは、優れた医療機器UXは「機能」「使いやすさ」「感情」の3つのレイヤーを統合して設計されているということ。
技術的な機能だけでなく、使う人の感情や社会的つながりまでを考慮したホリスティックなアプローチが成功の鍵なのです。
国内スタートアップの挑戦:カンデルでの経験から
私がUXデザイナーとして働いていたカンデルは、「治す」ではなく「共に生きる」ための医療機器開発を理念に掲げるメドテック系スタートアップでした。
具体的にどのような挑戦をしていたのか、いくつかの事例をご紹介します。
ウェアラブル心拍モニターの開発
カンデルで私が携わった主なプロジェクトは、慢性心疾患患者向けのウェアラブル心拍モニターでした。
従来の心電図モニターは病院でしか使えず、データも医療従事者しか理解できないものでした。
私たちのチャレンジは、これを「24時間着けていられる心地よさ」と「自分の心臓の状態が視覚的に理解できる」デバイスに変えることでした。
デザインプロセスで特に注力したのは、「見た目の医療感を減らす」こと。
医療機器に見えないスタイリッシュな外観で、患者さんが公共の場でも抵抗なく使えるようにしました。
また、データ表示も医学用語ではなく、直感的に理解できるビジュアルを採用。
例えば心拍の乱れを波形ではなく、海の波のアニメーションで表現するなど、患者さん自身が自分の体調を「感じられる」インターフェースを目指しました。
開発プロセスの特徴
カンデルの開発プロセスで革新的だったのは、医師・エンジニア・デザイナー・患者が同じテーブルで議論する「クロスファンクショナルチーム」の形成です。
従来の医療機器開発では、医学的要件が先行し、デザインは後付けになりがちでした。
しかし私たちは、企画段階からUXデザイナーが参画し、技術的制約と使用体験のバランスを取りながら開発を進めました。
また、プロトタイピングとユーザーテストを繰り返す「イテレーティブデザイン」も特徴でした。
紙のプロトタイプから始めて、機能するモックアップ、実際に使えるプロトタイプへと段階的に発展させ、その都度ユーザーからフィードバックを得て改良していくアプローチです。
課題と解決策
もちろん、挑戦の道のりは平坦ではありませんでした。
医療機器の厳しい規制要件とユーザー体験の最適化は、しばしば相反することがあります。
例えば、安全性確保のための警告表示が多すぎると、かえって使いづらくなるジレンマがありました。
私たちの解決策は、「階層化されたインターフェース」の採用でした。
最も重要なアクションと情報はシンプルな第一層に、詳細情報や設定は第二層以降に配置することで、必要な規制要件を満たしながらも、使用感を損なわない設計を実現しました。
カンデルでの経験から学んだのは、医療機器のUXデザインは「制約の中の創造性」が試されるフィールドだということ。
規制や技術的制約を言い訳にするのではなく、その中でいかに創意工夫するかが勝負なのです。
このような医療機器開発の創造的なアプローチは、株式会社アスター電機のような国内の優れた医療機器専門メーカーでも見られます。
同社は創業45年、医療機器受託製造32年という豊富な実績を持ち、高度な技術力と品質管理体制で国内医療機器産業の発展に貢献しています。
ウェアラブル機器とユーザーの日常への溶け込み方
医療機器、特にウェアラブルデバイスが日常生活に自然に溶け込むためには、いくつかの重要な要素があります。
これらの要素は、私がカンデルで働く中で見出した「成功の法則」とも言えるものです。
1. 物理的な存在感の最小化
ウェアラブル機器が日常に溶け込むための第一条件は、身につけていることを忘れられるほどの快適さです。
例えば、患者にウェアラブルデバイスを着用してもらい、心拍数や体温、睡眠時間、消費カロリーなどの生体情報をデータ化することで、患者の状態をリアルタイムに確認できます。
しかし、装着感が悪いと継続使用は難しくなります。
カンデルでのデザインでは、軽量化はもちろん、素材の肌触り、汗や水への耐性、長時間装着による圧迫感の軽減など、身体との接点を徹底的に研究しました。
また、充電の頻度も重要な要素です。
毎日充電が必要なデバイスは、忘れやすく継続率が下がります。
2. 心理的な抵抗感の解消
ウェアラブル医療機器を身につけることへの心理的抵抗も大きな障壁です。
「病気の人」と見られたくない、異質な存在にはなりたくないという心理が働くためです。
この課題に対しては、ファッションアイテムのような見た目のデザイン、カスタマイズ可能なバンドやカバー、そして他の人から見えにくい装着位置の選択などが効果的です。
アップルウォッチが医療機器としての機能を持ちながらも拒否感なく受け入れられているのは、このアプローチの成功例と言えるでしょう。
3. データフィードバックの自然な統合
収集したデータをどう返すかも、日常への溶け込みに重要です。
常にアラートが鳴るようなデバイスは、日常を中断させ、使われなくなります。
カンデルでは、「必要なときに必要な情報だけを、最適な形で」という原則を重視していました。
例えば、心拍異常の通知は、緊急度に応じて振動・音・視覚の3段階に分け、軽微な変化なら就寝時や運転中には通知しない設定にするなど、コンテキストに応じた情報提供を心がけました。
また、データを「意味のある形」に変換することも大切です。
単に「心拍数98」と表示するより、「やや興奮状態です。深呼吸をしましょう」のように、アクションにつながる情報に変換することで、ユーザーの日常に自然に溶け込むフィードバックになります。
4. 社会的受容性の向上
ウェアラブル機器の普及には、社会全体の受容度も影響します。
職場や学校、公共の場で使用することへの抵抗が少ないほど、継続使用が促進されます。
カンデルでは、医療従事者や家族向けの啓発活動も製品開発と並行して行い、ウェアラブル医療機器の社会的理解を深める取り組みも重視していました。
医療の未来は、病院の中だけでなく、社会全体がつながるエコシステムの中にあるという認識です。
ウェアラブル機器が真に日常に溶け込むためには、機能と形だけでなく、使用体験全体をデザインすることが求められます。
それは技術とユーザーの接点だけでなく、社会との接点も含めた包括的なアプローチなのです。
「一緒に生きる」医療機器とは
「治す道具」ではなく「共にある道具」へ
私がカンデルで働く中で常に心に留めていた言葉があります。
「医療機器は”治す”じゃなくて、”一緒に生きる”ための道具になってほしい」
この「一緒に生きる」という考え方は、医療機器のUXデザインに根本的な変革をもたらします。
従来の医療機器は、病気を「治す」ための道具として設計されてきました。
診断し、治療し、完治したら使用を終える—そんなサイクルを前提としています。
しかし現代では、完全には治らない慢性疾患を抱えながら生きる人が増えています。
糖尿病、高血圧、心疾患など、一生付き合っていく必要のある病気と共存する時代です。
日本の医療現場におけるUI/UXは、高齢化社会や災害リスクなど、日本特有の課題に対応しながら、患者の安心感と治療効果を両立させるための強力なツールとなります。
そんな時代の医療機器に求められるのは、「共にある道具」としての在り方です。
これは単に「長期間使える」というだけでなく、以下のような特質を持つことを意味します。
1. 自己理解のサポート
自分の体調や症状を深く理解できるようにサポートすること。
数値データだけでなく、それが意味することや、日常生活との関連を理解できる表示が重要です。
2. 自己決定の促進
治療の選択肢や健康管理の方法について、自分で選び、決められるよう情報提供すること。
医師と患者の関係も、指示する側とされる側ではなく、パートナーシップへと変化します。
3. 日常生活との融合
特別な「医療行為」ではなく、食事や睡眠、運動と同じように自然な日常の一部として溶け込むこと。
それによって継続的な使用が促され、効果も高まります。
カンデルでのウェアラブル心拍モニターの開発では、この「共にある道具」の考え方を反映し、患者が自分の心臓の状態を「味方につける」体験を提供することを目指しました。
不整脈を「敵」として警戒するのではなく、自分の体からのメッセージとして受け止め、共存していくための知恵を育むサポートをしたのです。
感情に寄り添うデザインの力
医療機器と聞くと、どうしても冷たく無機質なイメージがありますよね。
しかし、病気や健康管理には必ず「感情」が伴います。
不安、恐怖、希望、安心—医療体験は感情的な旅でもあるのです。
従来の医療機器デザインでは、この感情的側面があまり考慮されてきませんでした。
「正確」「効率的」「安全」という機能的な側面が優先され、使う人の感情への配慮は二の次だったのです。
しかし、感情に寄り添うデザインには大きな力があります。
例えば、ある研究では、医療機器の外観デザインを温かみのあるものに変えただけで、患者の不安レベルが低下したという結果が出ています。
見た目は「機能」ではありませんが、治療効果に間接的に影響を与えるのです。
カンデルでのデザインでは、次のような「感情に寄り添う」アプローチを重視していました:
1. 言葉遣いの工夫
警告メッセージでさえ、不安を煽らない言葉選びを心がけました。
「異常値検出!」ではなく「平常値から外れています。確認しましょう」といった具合に。
2. 視覚言語の活用
医学的グラフや数値の羅列ではなく、感覚的に理解できるビジュアル表現を多用しました。
例えば、心拍変動を波の穏やかさや荒々しさで表現するなど、感情に直接訴えかける視覚言語です。
3. 小さな成功体験の設計
継続的な健康管理において、小さな成功体験が感情的なサポートになります。
「今日も測定できました」「先週より安定しています」など、前向きなフィードバックを積極的に取り入れました。
感情に寄り添うデザインは「甘やかし」ではなく、治療効果を高めるための科学的アプローチです。
ストレスや不安が軽減されれば、免疫力や治癒力は高まりますし、何より治療の継続率が向上します。
医療機器が単なる「モノ」から「パートナー」へと進化するためには、この感情的な次元でのデザインが欠かせないのです。
プロダクトが語る物語:医療×UX×生活の交差点
私たちが手にする医療機器には、それぞれ「物語」があります。
その物語が魅力的であればあるほど、使う人の生活に溶け込み、意味のある存在になっていくのです。
例えば、アップルウォッチの心電図機能には「いつでも、どこでも、自分の心臓を見守ることができる」という物語があります。
これは「病院で心電図検査を受ける」という従来の医療体験とは全く異なる物語です。
この新しい物語が多くの人の共感を呼び、健康管理の習慣を変えています。
プロダクトが語る物語には、いくつかの重要な要素があります:
1. 目的の物語
「なぜこのプロダクトは存在するのか」という根本的な問いに対する答え。
単に「健康を測る」だけでなく「より良い生活のために」という大きな文脈が重要です。
2. 関係性の物語
プロダクトとユーザーの関係をどう定義するか。
「監視者と被監視者」なのか「コーチと学習者」なのか「パートナー同士」なのか。
この関係性が、使用体験の質を大きく左右します。
3. 成長の物語
プロダクトを使い続けることで、ユーザーにどんな変化や成長がもたらされるのか。
「測定値が改善する」だけでなく「自分の身体への理解が深まる」「健康への自信が育まれる」といった内面的な成長も含みます。
カンデルでのウェアラブル機器開発では、「あなたの心臓の声を聴く」という物語を中心に据えました。
心臓の状態を「異常か正常か」の二元論で判断するのではなく、自分の身体からのメッセージとして受け止め、対話していくという物語です。
この物語が医療×UX×生活の交差点に位置づけられることで、単なる医療機器ではなく、生活の中の意味ある存在へと変化していくのです。
プロダクトが語る物語が魅力的であればあるほど、それは単なる「道具」から「文化」へと昇華していきます。
そして、その文化が新しい医療のあり方、新しい健康との付き合い方を社会に提案していくのです。
まとめ
「医療機器=堅い」の時代はもう終わり?
長い間、医療機器は「堅い」イメージの代表格でした。
白くて無機質な外観、複雑な操作性、威圧感のあるアラーム音—それらは「医療の専門性」の象徴でもありました。
しかし今、その常識は大きく変わりつつあります。
スマートウォッチで心電図が測れる時代、スマートフォンアプリで血糖値管理ができる時代です。
医療とテクノロジーの融合により、従来の医療機器の概念は解体され、再構築されています。
この変化は単なる見た目や使いやすさの向上にとどまりません。
医療機器が「堅い」から「柔らかい」に変わるということは、医療そのものが変わるということです。
病院から生活へ、専門家から個人へ、治療から予防へ—医療の重心が移動しているのです。
UXデザインの力は、この変化を加速させます。
使う人の体験を中心に設計することで、医療機器は特別な場所の特別な道具から、日常に溶け込むパートナーへと変わっていきます。
もはや「医療機器=堅い」の方程式は成り立たなくなっています。
これからの医療機器は、機能性と感性、治療効果と使用体験、専門性と親しみやすさを両立させた、新しい存在になるでしょう。
白石美羽が信じるUXの未来と医療の変化
私が信じる医療UXの未来は、「境界線の消失」にあります。
医療と日常の境界、患者と医療者の境界、そして測定と理解の境界—これらが溶け合うところに、新しい可能性が生まれると考えています。
1. 医療と日常の境界の消失
将来的には、特別な「医療行為」という認識自体が薄れていくでしょう。
血圧を測ることは、スマホをチェックするのと同じくらい日常的になり、健康管理は生活の自然な一部になっていくはずです。
これは「医療の日常化」であると同時に「日常の医療化」でもあります。
食事、睡眠、運動、ストレス管理—日常生活のあらゆる側面が健康との関連で捉えられるようになるからです。
2. 患者と医療者の境界の消失
従来の医療では、医師が「知識を持つ者」、患者が「知識を受ける者」という非対称な関係でした。
しかし、これからの医療では、患者も自分の健康データを持ち、理解し、意思決定に参加する「共同創造者」になっていきます。
医療UXの役割は、専門知識を持たない人でも理解できる形で情報を提示し、意思決定をサポートすること。
それによって、医師と患者の関係もより対等なパートナーシップへと変化していくでしょう。
3. 測定と理解の境界の消失
データを「測定すること」と「理解すること」の間には、現在大きな隔たりがあります。
しかし、AI技術とUXデザインの進化により、この隔たりは急速に縮まっていくでしょう。
測定と同時に意味のある解釈が提供され、そこから具体的なアクションにつながる—そんな一気通貫の体験が当たり前になっていくはずです。
これらの「境界線の消失」は、私が考える医療UXの未来像です。
その実現のためには、技術革新だけでなく、医療文化や規制の変革も必要ですが、私はその変化が確実に始まっていると感じています。
次に私たちができること——共感から始まるデザインの一歩
医療機器のUXデザインという領域は、まだ発展途上にあります。
だからこそ、私たち一人ひとりにできることがたくさんあります。
最後に、次のステップとして考えられるアクションをいくつか提案したいと思います。
1. 使用者として声を上げる
医療機器を使う際に感じる不便さや疑問を、積極的に声に出すことが第一歩です。
「難しいのは仕方ない」と諦めるのではなく、「もっと使いやすくできるはず」という視点で意見を伝えましょう。
医療機関やメーカーへのフィードバックは、次世代の製品開発に貴重な情報となります。
2. 共感力を育む
医療機器のUXデザインに最も必要な資質は「共感力」です。
自分とは異なる状況や立場の人の体験を想像し、理解する力を養いましょう。
様々な年齢、身体条件、技術リテラシーの人が、どのように医療機器を使うかを考えることが、包括的なデザインにつながります。
3. クロスディシプリナリーな対話を促進する
医療、工学、デザイン、心理学など、異なる分野の知識や視点を持ち寄ることで、革新的なソリューションが生まれます。
それぞれの専門家が互いの言葉を理解し、協働できる場づくりを意識的に行いましょう。
4. 小さな実験から始める
完璧を求めるのではなく、小さな改善から始めることが重要です。
例えば、医療情報の説明資料を視覚的に分かりやすくリデザインするだけでも、患者の理解度は大きく向上します。
身近なところから「使いやすさ」を追求することで、医療UXの文化が広がっていきます。
5. 成功事例を共有する
良いUXデザインによって医療体験が向上した事例を積極的に共有しましょう。
具体的な成功事例があれば、「こんなことができるんだ」という気づきが広がり、変革の機運が高まります。
医療機器のUXデザインは、単なる「使いやすさ」の追求ではありません。
それは患者の主体性を尊重し、人間中心の医療を実現するための重要なアプローチなのです。
一人ひとりの小さな気づきや行動が、やがて医療の在り方そのものを変えていく—私はそう信じています。
共感から始まるデザインの一歩を、あなたも踏み出してみませんか?
医療機器UXに関するよくある質問
医療機器のUXデザインについて、様々な立場の方から寄せられる質問にお答えします。
患者さん、医療従事者、そして開発者の皆さんの疑問を解消し、この領域への理解を深めるお手伝いができれば幸いです。
Q1: 医療機器のUXデザインと一般的なプロダクトのUXデザインの違いは何ですか?
医療機器のUXデザインには、一般的なプロダクトには見られない特有の課題があります。
最も大きな違いは「リスク管理」の重要性です。
医療機器の使用ミスは健康被害や命に関わることもあるため、安全性を最優先に考える必要があります。
また、規制要件の厳しさも特徴的です。
多くの医療機器は薬事法などの規制対象となり、デザイン変更にも承認プロセスが必要です。
そして、ユーザーの多様性(医療従事者、患者、介護者など)と状況の多様性(緊急時と日常使用など)を同時に考慮する必要があります。
こうした制約の中でいかに創造性を発揮するかが、医療機器UXデザインの醍醐味と言えるでしょう。
Q2: 高齢者にも使いやすい医療機器のデザインで重要なポイントは?
高齢者向けの医療機器デザインでは、以下の点に特に注意を払うことが重要です:
1. 視認性の確保
文字サイズの拡大、コントラストの強化、色の選択(赤と緑の区別が難しい方もいます)などを工夫します。
また、環境光の変化(夜間の暗い部屋など)でも認識できるディスプレイ設計も大切です。
2. 操作の単純化
多段階の操作やメニューの階層化は最小限に抑え、直感的に理解できるインターフェースを目指します。
特に緊急時に使用する機能は、シンプルな操作で即座にアクセスできるようにします。
3. フィードバックの多様化
視覚だけでなく、触覚(振動)や聴覚(音)によるフィードバックを併用することで、情報の伝達を確実にします。
特に、触覚フィードバックは視力が低下した方にとって重要です。
4. 身体的負担の軽減
握力の弱さや手の震えを考慮した形状設計、ボタンの大きさや押し込みの深さなど、身体的特性に配慮します。
装着型デバイスであれば、着脱の容易さも重要な要素です。
高齢者向けデザインの基本は「排除しない」ことです。
高齢者に使いやすいデザインは、結果的に全ての人にとって使いやすいユニバーサルデザインにつながります。
Q3: 患者自身が医療機器のUX改善に貢献するには?
患者さんの声は医療機器開発において非常に貴重な資源です。
以下の方法で積極的に貢献することができます:
1. フィードバックを提供する
使用している医療機器について、良い点も悪い点も率直にフィードバックしましょう。
具体的な状況や感じたことを詳細に伝えることで、開発者にとって有益な情報になります。
医療機関やメーカーのサポート窓口、患者団体などがフィードバックの窓口になります。
2. ユーザーテストに参加する
多くの医療機器メーカーやスタートアップでは、開発中の製品のユーザーテストを実施しています。
こうした機会に積極的に参加することで、次世代の製品開発に直接関わることができます。
3. 患者コミュニティで経験を共有する
同じ疾患を持つ患者同士のコミュニティで、医療機器の使用体験を共有することも重要です。
自分が見つけた「使いこなしのコツ」や「困った点の解決策」は、他の患者さんの助けになります。
4. 共同創造のワークショップに参加する
最近では、患者と開発者が一緒にアイデアを出し合う「共同創造(Co-creation)」のワークショップも増えています。
このような場に参加して、患者視点のアイデアを積極的に提案しましょう。
患者さんは「使用者」であると同時に「専門家」でもあります。
日々の使用経験から得た知識や気づきは、開発者にとって得難い視点なのです。
Q4: ウェアラブル医療機器の普及に向けた最大の課題は何ですか?
ウェアラブル医療機器の普及には、いくつかの重要な課題があります:
1. データの信頼性と精度
ウェアラブルデバイスで取得したバイタルデータが医療判断に使えるほど正確であるか、という課題があります。
特に動いている状態での測定精度は、従来の医療機器に比べると課題が残る場合があります。
2. プライバシーとセキュリティ
常時収集される健康データの取り扱いに関する懸念は大きな課題です。
データの所有権、共有範囲、セキュリティ対策などが明確に定められる必要があります。
3. バッテリー寿命と充電の問題
ウェアラブルデバイスは常に身につけることが前提ですが、頻繁な充電が必要では継続使用が難しくなります。
特に医療用途では、バッテリー切れによる測定中断が命に関わることもあり得ます。
4. 医療保険の適用範囲
多くのウェアラブル医療機器は自費診療の範囲であり、コスト負担が普及の障壁になっています。
保険適用の範囲拡大や費用対効果の実証が進めば、より広く活用されるでしょう。
これらの課題は、技術の進化と社会制度の整備によって徐々に解決されつつあります。
特に日本では、デジタルヘルスケア推進に向けた規制緩和や保険制度の見直しも進んでいます。
Q5: 医療機器UXデザインの分野で活躍するためには、どのようなスキルや経験が必要ですか?
医療機器のUXデザイン分野で活躍するには、以下のようなスキルや経験の組み合わせが有効です:
1. 基礎的なデザインスキル
UX/UIデザインの基礎知識、ビジュアルデザイン、プロトタイピングのスキルは必須です。
特に、複雑な情報をいかに分かりやすく整理して表現するかという「情報設計」の能力が重要になります。
2. 医療・生理学の基礎知識
完全な専門家レベルでなくとも、医療機器が扱う生体情報や疾患について基本的な理解があると強みになります。
大学の医療系学部や看護系学部の教養課程レベルの知識があると良いでしょう。
3. ユーザーリサーチの手法
観察調査、インタビュー、ユーザビリティテストなど、様々なリサーチ手法に習熟していることが重要です。
特に医療現場特有の制約(プライバシー、衛生管理、時間的制約など)の中でのリサーチ能力が求められます。
4. 多職種との協働経験
医師、看護師、エンジニア、規制当局など、様々な専門家と協働するコミュニケーション能力が不可欠です。
それぞれの「言語」を理解し、橋渡しできる「翻訳者」のような役割を果たすことが求められます。
5. 規制に関する知識
医療機器の開発に関わる薬事法などの規制や、ユーザビリティに関する規格(IEC 62366など)についての知識があると有利です。
キャリアパスとしては、UXデザイナーとしての一般的な経験を積んだ後に医療分野に特化する道もあれば、医療系のバックグラウンドからデザインを学ぶ道もあります。
どちらのアプローチでも、「人間中心設計」の思想と「医療の質向上」への情熱が、この分野で活躍するための原動力になるでしょう。
白石美羽は医療×テクノロジー×生活の接点を探るライター。東京大学医学部健康総合科学科卒業後、メドテック系スタートアップ「カンデル」でUXデザイナーとして勤務し、2022年に独立。若年層の患者や女性医療、セルフケア分野に強い関心を持つ。「技術と身体のあいだにあるストーリーを言葉にしたい」をモットーに活動中。